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東京高等裁判所 昭和36年(ネ)2342号 判決

控訴人(原告) ヘンリー・ワタナベ

被控訴人(被告) 大蔵大臣

訴訟代理人 岡本元夫 外五名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴人訴訟代理人は、原判決を取消す、控被訴人が昭和三十三年十月八日付蔵理第八〇七一号を以て別紙目録記載の外貨債に対する有効化申請を拒否した処分はこれを取消す、訴訟費用は第一・二審とも被控訴人の負担とするとの判決を求め、被控訴人訴訟代理人は、控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上の陳述並びに証拠の提出援用及び認否は被控訴人訴訟代理人において、乙第二十三号証ないし第二十六号証を提出し、控訴人訴訟代理人において右乙各号証の成立を認めたほかは、いずれも原判決事実摘示の記載のとおりであるから、これをここに引用する。

理由

第一、本件の背景をなす外貨債借換及有効化に関する法制と本訴との関係

昭和十八年三月十五日法律第六〇号外貨債処理法は、戦時下における外貨債債務の処理のためその第二条において、

「外貨債ノ発行者ハ原契約ニ拘ラス命令ヲ以テ定ムル者(註、本件においては訴外渡辺時司がこれに該当するものとして処理された。)ノ所有スル外貨債ニ代ヘテ邦貨ヲ以テ表示スル国債、地方債又ハ社債ヲ発行シ当該外貨債ト借換フヘシ

前項ノ借換ニ付テハ当該外貨債ノ所有者ノ承諾ヲ得ルコトヲ要ス

(以下略)

と規定し、第四条において

「第二条第一項ノ規定ニ依り借換ヘラレタル外貨債ノ証券ハ之ヲ無効トス(以下略)

と規定し、同法施行規則第九条によれば、外貨債の所有者が借換の承諾をしようとするときは、借換えるべき外貨債証券を提出の上一定の期間内に外貨債の発行者にその旨を申出ずべきものとされ、なお、この場合に、当該外貨債証券が存しないとき又は本邦内にないときは、その所有及び当該外貨債証券の額面金額の種類、記号及び番号につき大蔵大臣の証明(以下「所有証明」という)を受けた上その証明書を以て外貨債証券に代えることができるものと定められていた。当事者間に争のない事実によれば、本件外貨債は、本邦人たる訴外亡渡辺治郎作の家督相続人訴外渡辺時司の所有であるとして、同人の承諾の下に、以上の規定に従い、当該外貨債証券が本邦内にないため、大蔵大臣の所有証明を経て昭和十八年七月二日渡辺時司のため邦貨債に借換えられた。然るに昭和二十六年十二月三日法律第二八九号旧外貨債処理法による借換済外貨債の証券の一部の有効化等に関する法律(以下「有効化法」という。)は、旧外貨債処理法(以下「旧法」という。)による外貨債の借換に際し不当な取扱がなされたと認められた者等の権利を回復させるため、第三条で、

「旧法第二条第一項の規定により邦貨債に借り換えられた外貨債であつて左の各号の一に該当するものの証券のうち、当該借換に際し、当該証券につき穴あけ、記載事項のまつ消その他当該証券を無効とする行為がされなかつたもので大蔵大臣の指定するものは、当該外貨債の元金の支払義務については、当該借換の日にさかのぼつて有効なものとする。

一  当該借換について、当該外貨債の証券の所有者の承諾を得なかつたもの

二  当該借換の日において質権の目的となつていたもので、当該借換について当該質権の権利者の承諾を得なかつたもの

(以下略)

と規定した。

ところで本件外貨債については、昭和十八年当時証券そのものは米国に在つて本邦内になかつたため、これに穴あけ、記載事項のまつ消その他当該証券を無効とする行為がなされなかつたことは当事者間に争がない。

それで控訴人は右外貨債の証券は自己の所有に属し渡辺時司の所有ではなく、昭和十八年七月二日の借換は所有者たる控訴人の承諾を得ないでなされたから不当であるという理由で昭和三十三年七月八日付を以て被控訴人大蔵大臣に対し有効化法第三条による有効化指定の申請をしたところ、同年十月八日付を以て拒否の処分を受けた。本訴は右拒否処分の取消を求めるものである。

よつて以下各争点につき判断する。

第二、出訴期間の遵守について

被控訴人は、本訴は出訴期間経過後に提起されたものであるから不適法であると主張する。

控訴人は、本件訴状においては、大蔵大臣が渡辺時司の申請に基き、昭和十八年七月二日付でした所有証明の無効であることの確認を求めており、その訴状は昭和三十三年十二月十三日原裁判所に提出されたこと及び昭和三十四年六月十七日に至つて、控訴人は請求の趣旨を拡張し大蔵大臣が昭和三十三年十月八日付蔵理第八〇七一号を以てなした行政処分を取消すとの判決をも求める旨記載した準備書面を原裁判所に提出し、その後の口頭弁論においてこれに基き陳述したことは、本件記録及び口頭弁論の経過に徴し明らかであり、右昭和三十三年十月八日付行政行為がその頃控訴人の代理人野島豊志に通知されたことは、控訴人の争わないところである。右によれば、該行政行為の取消を求める旨請求の拡張を記載した書面が原裁判所に提出された時期は、当該行為があつてより六箇月の出訴期間を経過して後であることは明らかである。

しかしながら、成立に争のない甲第九号証、乙第六号証と本件訴状とを対照すれば、右昭和三十三年十月八日付蔵理第八〇七一号による行政行為は、控訴人が同年七月八日付で被控訴人に対しなした本件外貨債有効化措置の申請に対してなされたもので、申請を容れ難い理由を通知する形式をとつており、たまたまその文言が「申請に係る事案については、外貨債有効化法により有効化すべき場合に該当する事案であると認めることは困難であるのでその旨通知する。」となつていて、申請却下の趣旨を明示せず、あたかも事実認定の通知のような表現であり、しかも成立に争のない乙第一号証の一、二、同第三号証によれば、その見解は、昭和十八年七月二日付の前示所有証明が正当である旨すでに被控訴人が過去においてもなしたことのある言明を繰返すものであつたことは各当事者にとり明らかであつたため、控訴人は、昭和三十三年十月八日付の通知を争う趣旨で本件訴状に前記のような請求の趣旨を掲げて提出したものと認むべきであり、その後になされた請求の変更は、形式上は請求の拡張のような表現をとつているけれども、実質上は請求の趣旨の表現の訂正に過ぎず、従前の請求と異る新たな請求をなしたものとは解すべきでない。従つて本件取消の訴は、処分のあつた昭和三十三年十月八日より六箇月以内に提起されたものであつて、出訴期間の遵守に欠けるところはない。よつて本件訴は適法である。

第三、本案の判断

有効化法第三条の規定によれば、借換につき当該外貨債の証券の所有者の承諾を得なかつた場合に同条の適用があるものとされているところ、控訴人は、本件の場合に同条の適用があることを主張して救済を求めるものであるから、この場合における同条の法律要件事実に該当する(イ)控訴人が前記証券の所有者であること及び(ロ)借換につき控訴人の承諾がなかつたことは、いずれも同条の適用あることを主張する控訴人において主張立証の責任を負うものというべきである。そして本件では渡辺時司の承諾によつて外貨債の借換が行われ、借換につき控訴人の承諾がなかつたことは、前説示事実により明らかであるから、控訴人は右借換の時たる昭和十八年七月二日現在において本件外貨証券がその所有であつたことを立証すれば足りることになる。

控訴人はこの点について、本件外貨債証券は無記名債権であるから控訴人はこれを所持することにより当然にその所有者と認めらるべきものであると主張し、成立に争のない甲第一号証の一ないし八、同第二号証の一ないし九、同第三号証の各一ないし八及び同第四号証の一、二、同第十八号証によれば、右外貨債証券が無記名であること及び控訴人が借換前の旧証券を現に所持していることは明らかであるけれども、本件において控訴人は、右外貨債の借換が無効でその外貨債証券が今なお有効なことを前提としてその証券上の権利の行使を主張しているのではなく、右借換に際し不当な取扱がなされたことを理由に有効化法による保護を得らるべきであることを主張するものであるから、控訴人が現在外貨債証券を所持することによりその所有者と認められるべきであるか否かは、本件では問題ではなく、前記のとおり借換当時控訴人が右証券の所有者であつたか否かを明らかにすれば足りる。

ところで借換前の旧外貨債証券が無記名式であつたことは、右のとおりであるから、その所持人は権利者と推定され、その権利を主張する者は、所持の事実のほかに更に権利者たることを証明する必要はなく、その権利を争う者において所持人が正当の所持人でないことその他その者に権利のないことを立証すべきである。そのことは現に証券を所持する者についていえるだけではなく、過去の或る時期において証券を所持していた者があるときは、その者はその時期において同様に権利者であつたものと推定さるべきものと解すべきであり、更にこのことは公法上の法律関係の要件事実として無記名証券上の権利の存否が問題とされる場合にも異るところはないものと解すべきである。これと異る被控訴人の見解は採用できない(証券の占有に推定以上の効力を認める準拠法の規定あることは控訴人の主張しないところである)。よつて、右の見地に立ち、昭和十八年七月二日の借換当時に遡つて本件外貨債証券に対する控訴人の所有権の存否を検討する必要がある。

本件において、控訴人の父亡渡辺治郎作が生前米国シアトル市において農産物仲買業を営んでいたこと、控訴人が昭和十三年大学を卒業し、同年四月父の事業を改組してエー・ビー・プロデユース・カンパニーという会社を設立した上、自ら中心となつて事業の経営に当つたこと、同年七、八月頃又は九、十月頃本件外貨債が順次代金合計一万二千ドル余を以て買受けられたこと(売主については、第五七回東洋拓殖株式会社五分半利付米貨債券千ドル券五枚を除いてその他の証券の売主が訴外二上松郎であつたことは当事者間に争なく、買主については、買主が治郎作単独であるか又は同人と控訴人との共同買受であるかにつき争がある。)、治郎作が昭和十五年五、六月頃日本に帰国したこと、同人の旅券の期間が当初一年であつたけれどもその後更に一年間期間延長の手続がなされたこと及び同人が昭和十七年二月十二日日本において死亡したことは、いずれも当事者間に争なく、右争ない事実と、前示甲第十八号証、成立に争のない乙第八号証甲第十一号証の一ないし四、同第十二号証の一ないし九、当裁判所が真正に成立したものと認める甲第五号証、同第六号証の一ないし四、原審証人渡辺時司、同伊藤辰次郎の各証言を総合すれば、昭和十三年控訴人が会社を設立して治郎作の農産物仲買業を引継いで後は、同人が良く働き事業の成績も向上したので、治郎作自身は事業の責任者たる地位から退き、オブザーバーのような形で監督的な仕事をするだけになつたこと同人は前記会社の取引銀行でもあつたシアトル、フアースト・ナシヨナル銀行に控訴人と共同名義の預金口座を持ち、又同銀行の保管箱(第三三二三号)を賃借して控訴人をその共同賃借人に指名したこと、本件外貨債証券は買受後右保管箱に保管され、右預金口座に利子の受入記入がなされていること、治郎作は、米国に妻と二男二女を有していたが、長男は既に独立し、妻と二女の生活も控訴人が負担できるようになり、日本においては郷里静岡県に長女花子と婿養子渡辺時司の夫妻がいたので、米国と日本を往復して余生を送りたいという意向であつたこと、治郎作は前にも日本に帰国したことがあり、昭和十五年帰国したときも米国における留守中のことは一切控訴人に託したけれどもなお再渡米の意思はもつていたこと、右日本帰国当時本件外貨債証券は前記銀行の保管箱に保管されたままであつたが、治郎作はその買付通知書全部のほか証券の枚数、金額、記号、番号及び前記保管箱の鍵番号等を正確に記入した手帳を鍵の束とともに日本に持帰つていること、帰国後は隠居所として家を買受け、これを改築して同人の母とともに居住し、旧知を訪問したり旅行などをしていたが、戦争のため再渡米の意図を果さないうち昭和十七年二月十二日郷里で病死したこと等の事実を認めることができる。

以上の事実によつて見れば、本件外貨債の証券は借換の時期たる昭和十八年七月二日当時においては米国内に在つたものであり、かつそれは控訴人の事実上占有するところであつたものと認むべく、従つて右外貨債証券は当時控訴人の単独所有であつたものと推定さるべきことは前示のとおりである。これに対し被控人は、右外貨債証券は治郎作が単独で買受けその所有権を取得し、帰国後もこれを失うことがなかつたもので、控訴人の所有となつたことはない旨主張し、控訴人はその事実を否認し、右証券が控訴人の単独所有に帰した事由として、これらは控訴人と治郎作とが共同で第三者から買受け共有となし、昭和十五年五、六月頃治郎作帰国に際し、同人の持分の上に控訴人に対する借受金債務の担保として質権設定と代物弁済の予約がなされ、その後治郎作において債務を弁済することができなかつたため、代物弁済によりその持分は控訴人に帰属し、かくして控訴人の単独所有になつたものと陳述し、その根拠として、

(イ)  右証券の購入資金は控訴人と治郎作及び同人妻との三名より出捐されていること、

(ロ)  治郎作は日本へ帰国するに当り控訴人より渡航費五千ドルを借受け、右証券をその担保に供したこと、

(ハ)  そのため治郎作は帰国に際し証券の携行が可能であるにかかわらずこれを米国内に残し控訴人の管理の下に置いたこと、

(ニ)  治郎作が帰国に際し証券を保管する保管箱の鍵を控訴人に交付したこと、

等の事実を挙げている。

先ず右証券は控訴人と治郎作との共同購入に係るものであるか治郎作の単独購入によるものであるかの点を検討する。右証券の購入資金が控訴人及びその父母の三名によりどのような割合で支弁されたかの点を明らかにすることのできる資料はない。被控訴人は右購入資金一万二千ドル余はすべて治郎作単独で支出したものであると主張するけれども、その点は被控訴人の立証によつても全部を裏付けることはできない。しかし被控訴人が治郎作による支出を立証できない部分はすべて控訴人その他治郎作以外の者の支出に係るものであると断定することのできないことは当然である。成立に争のない乙第十四号証の一ないし六により認められる治郎作の横浜正金銀行支店に有していた預金の額が常に本件外貨債証券購入代金の総計額には達していないという事実も、治郎作が他に右購入資金を支弁する資産方法を有していたことを否定するに足りるものということはできない。一方成立に争のない乙第二十六号証によれば、控訴人が大学卒業後エー・ビー・プロデユース・カンパニーの営業に従事して自ら相当の資産と信用を有していたことが認められ、本件外貨債証券の購入代金の一部を負担する資力のあつたことはほぼ明らかであるけれども、そのことと右代金の一部を実際に控訴人が負担したこと及び特に右証券の購入が控訴人と治郎作との共同でなされたということとは別問題であつて、結局本件では、証券購入資金の出所を検することは、それ自体が証拠上結果を明らかにすることができないばかりでなく、そもそもかような出所を検することによつては右証券が控訴人と治郎作との共同購入に係るものであると認定することができないものといわなければならない。しかしながら、成立に争のない甲第十九号証によれば、本件証券のうち東洋拓殖株式会社五分半利付米貨債券千ドル券五枚が昭和十三年九月二十七日頃治郎作自身の単独名義でシアトル・フアースト・ナシヨナル銀行を経て買付けられたものであることが認められる。その他の証券については、それが訴外二上松郎から買受けたものであることは当事者間に争がないけれども、二上松郎との売買の当事者が治郎作単独か、同人と控訴人との両名共同であつたかについては争があり、二上松郎との売買取引を証すべき証書等は証拠として提出されていないから(甲第十二号証の一ないし九は二上松郎が他から買付けたときの書類である。)これによつてその買主を知ることはできないが、前掲乙第一号証の一、二、成立に争のない乙第二十三号証、甲第十七号証、乙第二十四号証、乙第十一号証、乙第四号証、乙第五号証、甲第十五号証、前掲乙第六号証等を作成日付の順序に従い順次比較検討すれば、控訴人は被控訴人に対する有効化申請や控訴人代理人に対する連絡の書面、控訴人の口述書等において、当初は本件証券が治郎作の単独所有であり帰国に際し控訴人に譲渡された旨繰返し主張していたのであつて、昭和三十二年一月付控訴人代理人の借換済外貨債有効化申請書(乙第五号証)中においてはじめて共同購入の事実を述べるに至つたものであり、この控訴人の主張の変化と、治郎作が帰国に際し証券を携帯しようとしても後記のとおりそれは不可能であつたこと及び前記のように、治郎作が本件証券全部の買付通知書を携帯し、かつ買付通知書に記載のない証券の記号、番号、金額等の詳細を正確に手帳に記載してその手帳を携え帰国したこと等の諸点とを併せ考えるときは、二上松郎から買受けた証券についても、シアトル・フアースト・ナシヨナル銀行を通じて買受けた証券と同様買主名義は治郎作単独であつて控訴人と共同で買受けたものではないことが認められる。右認定に反する乙第五、第六号証の記載は採用できない。そしてこのように本件各証券が本来治郎作の単独で購入したものと認められるにかかわらず、その後に治郎作が控訴人との間でこれを両名の共有とすることを約したような事実を認めることのできる証拠はない。前示保管箱が共同賃借に係るということからは、これに蔵置された本件外貨債証券が共有であるという推定は生じない。従つて本件証券はその購入の最初から治郎作の単独所有であつたものと認むべきである。

次に控訴人は前示(ロ)(ハ)(ニ)等の事情を挙げて治郎作が日本へ帰国するに際し控訴人に対する債務のため右証券の二分の一の持分を担保に供した結果本件借換当時には証券は控訴人の単独所有となつていたものと主張する。(ロ)治郎作が帰国に当りエー・ビー・プロデユース・カンパニー名義の資金中から金五千ドルを引出し、これを携帯して帰国したことは、成立に争のない甲第十六号証によりこれを認めることができるけれども、それが控訴人より治郎作に対する貸付金であるという点については、前掲乙第四号証ないし第六号証、第十一号証、第二十三、第二十四号証、甲第十五号証等のほかにはこれを認めることのできる資料なく、これらの証拠はいずれも控訴人自身の主張を記載した書面に過ぎないから、これだけを以てたやすく右貸付の事実を認めることはできない。のみならず、原審証人伊藤辰次郎の証言によれば、右金員の帯出は、当時控訴人にとつても意外なことであり、そのため控訴人は会社経理上思わぬ支障に苦しんだことが認められるので、治郎作との間に右金員貸付の合意のなかつたことを推認すべく、従つて治郎作が本件証券を控訴人に対する債務の担保に供したものとは認めることができない。(ハ)治郎作が帰国に当り本件証券を米国内に留めてこれを携行しなかつたことは、前示のとおりであるが、成立に争のない乙第十号証の一ないし三及び原審証人伊藤俊彦の証言(第一回)によれば、本邦人が海外に有する外貨債証券の携帯輸入が大蔵大臣の特別許可を受けることにより可能となつたのは昭和十五年八月以降からであり、治郎作の帰国した昭和十五年五、六月頃はまだその携帯輸入が外国為替管理法により禁止制限されていた時期であつたことが認められるから、治郎作がこれらの証券を携行しなかつたことはやむを得ないことであつて、必ずしも控訴人主張のように、これを担保に供していたからであるとはいえない。なお昭和十五年八月以降外貨債証券の輸入の途が開けたにかかわらず帰国後の治郎作においてその後その手続をとらなかつたという事実は、未だ以て治郎作による控訴人主張の証券処分の事実を認めるに足る資料とはならない。(ニ)治郎作の帰国後前記保管箱は控訴人がその鍵を所持して管理していたことは、控訴人が右借換前の証券を所持していることからもこれを認めるに十分であるが、前掲甲第六号証の一、二及び当裁判所が真正に成立したものと認める甲第十三号証によれば、保管箱の鍵は契約者に対し二箇が渡されるものであることを認めることができ、前示のように控訴人は治郎作により共同賃借人として指名されているのであるから、控訴人が右保管箱の鍵のうちの一箇を自ら所持し、保管箱を開閉することができたことは、なんら怪しむに足りず、これを以て治郎作が証券の持分を控訴人に対する債務の担保に供したことの根拠とすることはできない。治郎作が帰国に際し鍵二箇のうち自己の所持する方の一箇を担保証券の処分を一任する趣旨で控訴人に交付したということを認めることのできる資料はない。

以上のように控訴人がその主張を支持する事情として挙示する各事実については、或はそのとおりの事実が認められず、或はその事実そのものが控訴人の主張を支持するに足りないものであつて、これらの事情と治郎作が、本件証券購入後二年を経ないで日本に帰国するに際し、前記のように本件証券の上に有するその権利が後日不明となることを防止するに適切と認められる措置を講じていたところから見ると、治郎作においては右証券又はその二分の一の持分につき控訴人主張のようにこれを担保に供し、代物弁済の予約をなし又は質権設定の合意をなした等の事実はなかつたものと推認するのが相当である。

控訴人は、治郎作が永住の目的を以て日本に帰国しながら本件証券を控訴人の許に留め置いたのは、米国に残した治郎作の妻子の生活が控訴人の負担に帰することを考慮し、控訴人に本件証券を取得させておく必要があつたからであるとも主張しているけれども、治郎作が右証券を仮に日本に携行しようとしても、その本邦への携帯輸入が許されなかつたことは前説示のとおりであり、治郎作の帰国がその当初の意図においては一時的のもので、旅券の有効期限内に米国に戻る予定であつたことは、さきにも示したとおりであり、なおそのことは、治郎作が米国に妻を残してあり、妻との婚姻関係は引続き継続していたこと、治郎作自ら旅券の有効期限の一年間伸長の手続をしていること、治郎作が多年にわたる生活の本拠であり妻子ある米国を去つて真に永住の目的で日本に帰国するとすれば、米国及び日本において身辺の整理、永住の準備等につき事前にそれ相当の措置を講ずべきであるにかかわらず本件においてはなんらかような事跡を認むべき資料がないこと等によつても窺われるのみならず、更に控訴人自身が控訴人訴訟代理人に宛てた書簡(前示乙第二十三号証)中において、「父は旅券の有効期間が切れる前までには米国に戻る予定で日本に行つたところ、戦争の勃発でそれが不能になつて了いました。」と述べているところから見ても明らかである。成立に争のない乙第十七、第十八号証により認められる、治郎作が昭和十四年七月中米国生命保険会社との生命保険契約を解約したことは、必ずしも同人が当初から永住の目的で日本に帰国したことを認定するに足る資料とはならない。又、治郎作が帰国後土地建物を購入し、隠居所として母とともにこれに居住していたことは前説示のとおりであるけれども、成立に争のない甲第二十号証の一、二、同第二十一号証の五、同第二十二号証の二によれば、それは治郎作が往時先代に世話になつたことのある分家の家屋敷が無住となり抵当物件として処分されようとしているのを帰国後間もなく知り、それが他人の手に帰するのを惜しみ、後日買戻に応ずる約で昭和十五年九月自らこれを買受け、抵当債務を弁済して長女の名義に登記したものであることが認められ、取得の事情が右のとおりである以上これを以て治郎作が当初から日本永住の目的で帰国したことの現われであるということはできない。従つて治郎作が日本永住の目的で帰国したので在米財産たる本件外貨債証券は帰国に際し控訴人に譲渡し又は担保に供したものであるという控訴人の主張は、その前提においても成り立たない。

なお、前示乙第八号証には、治郎作が生前に養子渡辺時司に対し「日本に在る財産はお前にやるが、アメリカの財産はヘンリー達のものだから、それまで慾張つてはならないぞ。」と語つた旨の記載があるけれども、右は治郎作の死後在日財産は時司夫婦に、在米財産は控訴人等在米家族に取得させようとする治郎作の意嚮を示したものと解すべく、これを以て治郎作が生前控訴人のため本件外貨債証券の全部又は一部を譲渡し又は担保に供したことの証左となすことはできない。

以上のとおり、本件外貨債証券は、治郎作が自ら購入して単独で所有していたものであり、これを控訴人に譲渡し、担保に供する等控訴人主張の処分の事実はなく、治郎作はその所有権を失うことなく帰国したものであつて、控訴人の所有権取得原因事実は存しないことが認められるのであるから、米国に在つて治郎作より後事を託された控訴人が右証券を所持し治郎作の不在中利札により利息の支払を受けていたのは、単に治郎作のため委任又は事務管理により保管の任に当つていたものに過ぎないものと解すべきである。

そして治郎作が昭和十七年二月十二日死亡し、その家督相続人渡辺時司において相続によりその全財産を承継したことは当事者間に争がない。この場合の本件証券の所有権移転の準拠法については、本件証券は無記名であるから動産とみなされ、法例第十条第二項には動産に関する権利の得喪はその原因たる事実の完成した当時における目的物の所在地法によるとあるけれども、一方同法第二十五条は、相続は被相続人の本国法によると規定し、相続に関する限り動産についてもその得喪の準拠法を定める法例第十条第二項の規定は適用を排除されているものと解するから、治郎作の本国法たる日本民法に従い、本件証券もまた家督相続により渡辺時司の所有に帰したものというべく控訴人は治郎作の死亡による相続によつても本件証券の全部又は一部を取得する余地はない。すなわち昭和十八年七月二日の本件借替当時控訴人は右証券の所有者ではなかつたものである。又当時控訴人が右証券の上に質権を有していたことも認められない。

前示乙第八号証に示された在米財産は治郎作の死後は控訴人等のものにしようという治郎作の意嚮は常識上妥当な見解と解せられるが、治郎作において死後の遺産の処置につき遺言その他特段の措置をしたことの認められない本件に在つては、同人の遺産は在米財産たると在日財産たるとを問わずすべて前示のとおり家督相続により時司の承継するところとなつたものであり、その後においても、時司においてもし本件外貨債証券につき全然触れるところがなかつたならば、時の推移とともになんらかの原由によりその所有権は控訴人等在米妻子に帰するに至つたものと推測できるけれども、本件外貨債については、前記のとおり時司において自ら所有者として適法に借換の手続をなし、当時の法定換算率による邦貨債を取得しているのであるから、時司より右邦貨債を控訴人に譲渡するほかには治郎作の前示生前の意嚮を実現する途はなくなつたものというべく、時司の取得した右邦貨債がその後の貨幣価値の変動や、戦時補償特別措置法の適用、社債発行会社の特殊清算等により著しくその実質上の価値を減損したことは明らかであるけれども、それは同様の邦貨債を有するすべての日本国民について同様であり、敢て時司のみに限つたものではない。その結果治郎作の前示生前の意嚮が実質上は殆んど実現しないことになつたとしても、それは主として時司の正当な権利行使と戦争による事情の変更に因るものであつて、これを外貨債借換に関し日本政府のなした不当な取扱に帰することはできない。

控訴人は本件外貨債証券の所有者又は質権者であつたということを理由に本件行政処分の取消を求めているものであり、他に右処分の取消を求むべき法律上の利益あることを主張するものではないから、すでに控訴人が右外貨債証券の所有者又は質権者であつたことの認められないこと前示のとおりである以上本件行政処分のその他の手続上の適法要件については審査する必要がない。

よつて右処分の取消を求める控訴人の請求を棄却した原判決は相当であるから、民事訴訟法第三百八十四条、第九十五条、第八十九条に従い、主文のとおり判決する。

(裁判官 小沢文雄 中田秀慧 賀集唱)

(別紙)

外貨債目録

名称

記号

額面

第二十五回東洋拓殖株式会社六分利附米貨社債

第三四七五号

第三四七六号

第四四六七号

第七二八九号

第一二九一七号

第一四四〇五号

第一四四〇六号

第一四五一八号

一、〇〇〇ドル

八枚

第五十七回東洋拓殖株式会社五分半利附米貨債券

第一六二一号

第一六二二号

五〇〇ドル

二枚

第一八一七号

第一八一九号

第一八二〇号

第一八二一号

第一八二二号

第一六九八一号

第一七〇四四号

一、〇〇〇ドル

七枚

台湾電力株式会社四〇年減債基金附五分五厘利附米貨社債

第一一七一号

第一一七二号

第一八五九号

第一八六〇号

第二二二八号

第一〇五〇四号

第一〇五〇五号

第二一九七〇号

一、〇〇〇ドル

八枚

横浜市六分利附米貨公債券

第二六〇二号

第二六〇三号

一、〇〇〇ドル

二枚

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